チベット学会報第3号[平成28年(2016年)]

チベット学会報第3号[平成28年(2016年)]

Pp.11-19.

トランス・ヒマラヤ・ネットワークの形成と日本在住亡命チベット人の役割

煎本 孝 

1. はじめに
 2015年10月、第9回トランス・ヒマラヤ・フェスタが、東京で開催された。主催は日本在住の亡命チベット人により設立、運営されているチベット教育福祉基金である。チベット教育福祉基金は、1981年に、チベット難民教育基金として発足するが、チベット難民の初等教育の充実という当初の目的の達成にともない、2000年に新たに拡充、再編成されたNPO法人である。この新たな基金による支援の対象は、チベット難民のみならず、チベット北インド、ネパール、ブータンというトランス・ヒマラヤ地域の国々の人々に拡張された。支援の内容は、学生の中等・高等(大学)教育のための日本留学プログラム、チベット、ヒマラヤ諸国の僧院における伝統教育、2010年のアムド地震被災地救援活動に見られるような災害地域への救援活動等である。トランス・ヒマラヤ・フェスタにおいては、これらの国々からの留学生たちによる民族ファッションショー、歌・舞踊、民族料理等が披露された。その結果、このフェスタはトランス・ヒマラヤ地域の人々と日本人との文化交流とネットワーク形成の場となる。本稿では、トランス・ヒマラヤ・フェスタ開催の経緯と内容の分析に基づき、トランス・ヒマラヤ・ネットワークの形成の意味と日本在住亡命チベット人の役割について検証する。
 なお、本稿は2012年、および2015年の行事における直接観察とインタビュー資料、文献資料、およびインターネット上の関連公開情報の分析結果からなる。

2. トランス・ヒマラヤ・フェスタ開催の経緯
 トランス・ヒマラヤ・フェスタ開催の目的は、NPOチベット教育福祉基金によりトランス・ヒマラヤ文化交流協会が支援を計画するヒマラヤ諸国(チベット文化圏、主にチベット北インド、ネパール、ブータン)からの学生、社会人が、日本人との交流を通してお互いの文化を学び合い、少しでも日本で住みやすくなるようにすることにある(1)。
 このため、第1回目のトランス・ヒマラヤ・フェスタが2005年に開催され、その後、ほぼ毎年開催されて今日に至っている。じつは、第1回トランス・ヒマラヤ・フェスタ開催のきっかけは、当時、静岡の国際開洋第一高等学校に在籍していた留学生たちが、「東京を自分たちの目で実際に見たい」との強い希望を持っていたため、主催者であるチベット教育福祉基金が自動車を手配し、そのための費用をトランス・ヒマラヤ・フェスタの入場券販売でまかなうことにあった。そして、留学生たちは自分たちの伝統文化である歌・舞踊を熱心に練習し披露することで、この希望をかなえた。
 インターネットにアップされている情報(2)は、2009年の第5回ヒマラヤ文化祭/留学生支援チャリティーの案内が、チベット教育福祉基金からのお知らせとして登場するのが最初である。その後、2010年の第6回ヒマラヤ文化祭/留学生支援チャリティー、2012年の第8回ヒマラヤ文化祭/留学生支援チャリティー、2013年のトランス・ヒマラヤ・フェスタ:チベット文化研究会、2014年のトランス・ヒマラヤ文化祭、そして、2015年の第9回トランス・ヒマラヤ・フェスタの案内に関する情報が続く。なお、2013年、2014年については第何回との記載がないため、今回の2015年を第9回と表記したものと考えられるが、仮に、2013年を第9回、2014年を第10回と勘定すれば、2015年トランス・ヒマラヤ・フェスタは、実質的には、第11回と位置付けることもできる。
 トランス・ヒマラヤ・フェスタという行事の名称は、2012年まではヒマラヤ文化祭/留学生支援チャリティーとされていたが、2013年以降はトランス・ヒマラヤ・フェスタ、あるいは、トランス・ヒマラヤ文化祭と変更されている。また、2012年までは会費として1,500−2,000円が徴収されていたが、2013年以降は無料とされている。したがって、当初は留学生支援チャリティーとしての目的が強調されていたが、2013年以降は、むしろ文化祭としての性格を前面に出したことになる。もっとも、2012年以前の会費には民族料理等の昼食代が含まれていた。これに対して、2013年以降の参加費は無料となったが、昼食代は参加者各自が支払うことになっているため、結果的には留学生支援チャリティーという目的に変化はない。また、主催者がチベット文化研究所内に設置されているNPOチベット教育福祉基金であることは一貫している。
 トランス・ヒマラヤ・フェスタの開催場所は、2009年は東京都新宿区常円寺、2010年は川崎市高津市民会館、2012年は常円寺、2013年、および2014年は東京都品川区安養院、2015年は東京都中野区旧中野温暖化対策推進オフィス(現インド・ヨガ教室)である。これらは、NPOチベット教育福祉基金に対する日本側の理解者である。なお、NPOチベット教育福祉基金はトランス・ヒマラヤ・フェスタだけではなく、その他の行事にも参加している。2011年と2013年には、上尾市文化センターにおける上尾ワールド・フェアーに参加し、展示、各国料理のみならず、PRルームにおいて「チベットの話」と題する講演が午前と午後の2回、各1時間ずつ行われている。また、2014年5月には、横浜市神奈川区国際交流まつり・かながわ湊フェスタに、チベット料理、ブータン料理の食事販売のための出店が行われ、同年9月には、上野恩賜公園噴水広場におけるネパール・フェスティバルに参加している。
 このような経緯で、NPOチベット教育福祉基金の積極的活動と理解者の協力に支えられ、トランス・ヒマラヤ地域からの留学生と日本人との間の文化交流の場が、トランス・ヒマラヤ・フェスタという定期的行事として確立されたのである。

3. トランス・ヒマラヤ・フェスタの内容
 トランス・ヒマラヤ・フェスタのプログラムは、トランス・ヒマラヤ地域各国の歌と踊り、民族衣装のファッションショー、ゲストのアーティストによる公演、民族料理とグッズの販売からなる。これらは、ホームページに2009年に登場する第5回ヒマラヤ文化祭/留学生支援チャリティーの時から変わっていない。さらに、これらのプログラムに加え、2010年の第6回ヒマラヤ文化祭/留学生支援チャリティーにおいては、NPOチベット教育福祉基金理事長ペマ・ギャルポのミニ講演「チベットの現状と教育環境」が行われ、2013年のトランス・ヒマラヤ・フェスタでは、チベット・ヨガ、チベットのタンカ、ぬり絵、民族衣装(チベットブータン)を着ての写真撮影が行われている。また、2015年には、今回で4度目の参加となる元衆議院議員、元国際開洋学園理事長、元国際開洋高等学校校長の井脇ノブ子が開会の挨拶を行っている。
 歌と踊り、ファッションショー、民族料理は、チベット、ネパール、ブータン、インド(ラダック)からの留学生による催し物である。留学生には、インド、ネパール、シッキム在住のチベット難民に加え、ネパール人、ブータン人の参加が見られる。なお、プログラムでは学生の公演に入っているソナム・ギャルモは、留学生として日本に学び、卒業後、東京を拠点に歌手活動を始めた北インド出身のチベット人歌手であり、2010年の第6回ヒマラヤ文化祭/留学生支援チャリティー以来、行事に参加している。
 民族料理は、モモ(チベット風蒸し餃子)、野菜クリーム・カレー(ネパール風野菜入りクリーム・カレー)、プチャ(チベットのバター茶)で、歌と踊り等が行われた会場1階の地下にあるレストランにて販売された。なお、2012年のトランス・ヒマラヤ・フェスタにおいては、アルボリ(ネパールのじゃがいも乗せパン)も販売されている。モモやカレーはそれぞれ400円程度、バター茶は100‐200円なので、チャリティーといえど、あまり大きな収益は見込めないと思われる。料理は日本人の口に合うよう、辛さを極力抑えたものであり、普通のレストランの味に劣らぬものであった。
 アーティストによる公演は、行事への集客を目的とするため、必ずしもトランス・ヒマラヤ地域に限定されず、NPOチベット教育福祉基金に対する日本側の理解者がゲストとして参加している。たとえば、ヌリッティアンジャリ舞踊団(Nrithyanjali Dance Troupe)は、南インド古典舞踊バラタナディヤム愛好者により2009年に結成された日本人女性から成る舞踊団であり、東京各区のフェスティバルにおいて、古典舞踊の他、南インド・タミルの民俗舞踊の公演を行っている(3)。トランス・ヒマラヤ・フェスタには、2012年、2013年より参加しており、今回2015年の参加は3度目となる。また、インド古典舞踊の海老澤千春は南インドで舞踊を学び、2000年にウイーンで免許皆伝、ソロ・デビューし、オーストリア、ドイツ、インド、日本で舞台活動を行っている。日本では、神社仏閣での奉納や国際交流の舞台で活動している(4)。トランス・ヒマラヤ・フェスタへの参加は2015年が最初である。さらには、2015年には日系3世の女性によるハワイのウクレレ演奏、2012年にはアフリカ木琴演奏などが行われ、トランス・ヒマラヤ・フェスタは、地域を越えた芸術祭としての特徴も見られる。 
 2015年のトランス・ヒマラヤ・フェスタへの参加者数は、主催者側15名、支援者側40名程度であった。この参加者数は、当初よりあまり変わらないという。2015年のトランス・ヒマラヤ・フェスタは、ネパール大地震復興応援チャリティーも兼ねていたが、見たところ寄付金も多くは望めない。トランス・ヒマラヤ・フェスタの目的はチャリティーそのものにあるのではなく、文化交流に主眼が置かれている。
 トランス・ヒマラヤ・フェスタにおいて、留学生たちは自分たちの伝統文化を支援者である観客の前で演じ、支援者は彼らの文化を享受する。さらに、彼らの理解者である日本のアーティストも彼らを支援するために公演を行う。すなわち、支援を受けている留学生たちは、自分たちの文化を披露することにより、支援に対するフィードバックとし、同時に、支援者は自分たちが支援している留学生たちの文化を理解することになる。ここに、文化交流を通した支援者と支援を受ける人々との間の互恵的関係が形成される。したがって、トランス・ヒマラヤ・フェスタの目的は、トランス・ヒマラヤ地域の留学生と日本人との間の互恵性に基づく人的ネットワークの形成にある。さらに、このことにより、NPOチベット教育福祉基金への持続的支援を可能とする正のフィードバック回路が創出されることにもなる。

3. トランス・ヒマラヤ・ネットワーク形成の意味
 2015年トランス・ヒマラヤ・フェスタの開会挨拶で、井脇ノブ子は、留学生の教育を始めたきっかけは、恩師である倉前盛道が「遺言」として、自分とペマ・ギャルポの手を両手でそれぞれ握り、これからのトランス・ヒマラヤの子供たちを教育してほしい、と述べた事であると語る。このことは、井脇ノブ子の自叙伝(5)においても、「倉前盛道先生が、亡くなる前に私の手を取って、『モンゴルとか、ネパール、チベットブータンの子を、おまえの学校で教育して、大学も出して、それぞれの祖国に帰してやってくれないか。これは俺の遺言だ』と言われていました」と記されている。
 倉前盛道(1921年生−1991年没)は、日本の政治学者、地政学者である。熊本高等工業学校冶金科(現熊本大学工学部)を卒業、東北大学金属材料研究所、アジア経済研究所に在籍、亜細亜大学教授を務め、著書『悪の論理―ゲオポリティク(地政学)とは何か』(日本工業新聞社、1977年)はベストセラーとなった(6)。また、倉前盛道は理論だけではなく現場で行動する学者であった。チベット人に対しては、政治的立場からチベットの独立を信じ、「永遠に続いた帝国はない。正義は最後には必ず勝つ」と語っている。そして、1975年頃には、日本の政治学者ではおそらく初めて、チベット亡命政府のあるインドのダラムサラを訪問し、ダライ・ラマ法王と国際政治について語り、現在の状況を、「北京政府との忍耐の勝負である。忍耐強く戦ってほしい」と述べるなど、地政学に基づく戦略的思考を持ち、行動する学者であった(7)。
 さらに、倉前盛道は、『チベット潜行10年』の著者であり亜細亜大学アジア研究所教授の木村肥佐生と友人であった。木村肥佐生(1922年生−1989年没)は、戦前、興亜院モンゴル語研修生を経て、大東亜省内蒙古張家口大使館調査課に勤務、1943年、モンゴル経由でチベットに潜行する。その後、チベットに留まるも、1950年、インド経由で日本に帰国し、翌年、駐日アメリカ大使館勤務となる(8)。なお、木村肥佐生は、興亜院の後輩であり戦後もチベットに留まった西川一三と共に、ブータン、西康、シッキム、インド、ネパールを踏査している(9)。木村肥佐生は、チベット滞在中、チベットの近代化につくし、チベット改革派の青年たちに刺激を与えたという(10)。
 チベット出身で日本の政治学者であるペマ・ギャルポは、木村肥佐生と倉前盛道の世話で、1965年、5名のチベット人留学生の一人として来日する。亜細亜大学上智大学国際学部大学院、東京外国語大学アジア・アフリカ研究所で学び、1980年には、ダライ・ラマ法王日本代表部事務所チベット大使館に相当)初代代表となる。その後、岐阜女子大学教授、拓殖大学海外事情研究所客員教授桐蔭横浜大学教授などを務める。専門は、国際関係論、国際政治である(11)。また、恩師である木村肥佐生と倉前盛道は、1973年、ペマ・ギャルポ亜細亜大学在学中設立した日本チベット文化交流協会の設立に協力し、さらに、1977年、改名したチベット文化研究会チベット文化研究所)の副会長に就任している(12)。
 ペマ・ギャルポは、1981年、チベット難民教育基金チベット文化研究所内に発足させる。さらに、チベット難民の初等教育の充実という当初の目的の達成にともない、2000年には、新たにチベット難民に加え、チベット文化圏(トランス・ヒマラヤ地域)の恵まれない人々を対象に、高等・大学教育、年金等の社会福祉、学校施設の建築・改築、チベットの伝統教育の維持、災害援助等、事業の拡充を図ったNPO法人チベット教育福祉基金を開始させる。そして、2006年には、現地での援助に加え、日本に留学するチベット難民とトランス・ヒマラヤ地域の人々に対する日本での学費と生活費の支援事業が、サンブリジ基金の名称で、NPO法人チベット教育福祉基金の教育福祉プログラムの一環として認可された(13)。こうして、チベット難民をはじめとするトランス・ヒマラヤ地域からの留学生に対する資金援助の枠組みができたのである。
 他方、倉前盛道を恩師と仰ぐ井脇ノブ子は、日本の教育者、政治家である。倉前盛道と同じ九州出身で、別府大学卒業後、拓殖大学大学院経済学研究科に学ぶ。1971年に、日本の少年の社会教育を目的とし、船で沖縄をはじめアジア諸国を訪れ体験を通して学ぶ「少年の船」(財団法人少年の船協会)を立ち上げる。さらに、1980年から、難民キャンプ・ボランティア活動をカンボジアラオスベトナム、インド(チベット難民)で開始する。その後、1985年、学校法人国際開洋学園国際開洋第一高等学校静岡県に設立し、「少年の船」体験者を対象とした教育機関とする。また、1987年には国際開洋カナダ・ハイスクールを設立し、日本人学生の海外体験のための留学先機関とする(14)。
 なお、先に記した倉前盛道の「遺言」は、1991年頃のことであり、このこともあって、井脇ノブ子は1995年頃からモンゴルの子供たちを日本に留学させる事業を始める。その後、チベット、ネパール、ブータン、インドのラダックからの留学生は20年間で約1,000人となる。彼らは、学園卒業後、井脇ノブ子の出身高校の系列である日本文理大学をはじめ、国際ホテル専門学校、介護・看護の学校に進学する。その結果、モンゴルの子供たちは、帰国後、参事官、国会議員、大学教授等になり、あるいは、日本で就職した者もいる。なお、この間、井脇ノブ子は2005年から2009年に自由民主党所属の衆議院議員(1期)を務めている(15)。
 なお、井脇ノブ子は2015年トランス・ヒマラヤ・フェスタの開会挨拶で、これまでに、120名のネパール、インド、ブータンチベットからの留学生、870名のモンゴルからの留学生を卒業させ、学費、生活費を無料として12億円の私費をつぎ込んだと語っている。また、チベットに関しては、20年前に国連に30万人の署名を送り、チベットの現状についてアピールしたという。そして、自分の夢はチベットの民間大使となることであると語る。
 こうして、倉前盛道は、NPO法人チベット教育福祉基金を運営するペマ・ギャルポと学校法人国際開洋学園で教育にたずさわる井脇ノブ子を結びつけた。ここに、チベット人と日本人の連帯によるトランス・ヒマラヤ・ネットワークの中核部が形成された。トランス・ヒマラヤ・ネットワーク形成の意味は、この地域の人々と日本人との間の文化交流を通した相互理解と教育支援にある。同時に、このことは、地政学的(16)に見れば周辺地域の結束であり、紛争解決のための平和的戦略である。
 実際、倉前盛道は、チベットに関して、「ここは、スイスのように、武装永世中立の山岳国家として、シナ、インド、ロシア、モンゴル、トルキスタンパキスタンアフガニスタンビルマなどに境を接する緩衝国家となることが最も望ましい」(17)と述べている。トランス・ヒマラヤ・ネットワークの形成は、この希望を実現するための文化的実践なのである。

5.  日本在住亡命チベット人の役割
 トランス・ヒマラヤ・ネットワークの形成において、日本在住亡命チベット人の役割は重要である。彼らはチベット難民の支援を通して、トランス・ヒマラヤ地域の人々と日本人とを結びつけた。チベット難民を中心としながらも、そのネットワークを北インド(ラダック)、ネパール、ブータンにまで拡張した。そして、トランス・ヒマラヤ・フェスタの開催により、彼らは、支援を受ける人々と支援者との間に互恵的関係を形成させた。このことにより、一方的な支援ではなく、文化交流を通した相互理解に基づく人的ネットワークの形成が可能となった。
 さらに、亡命チベット人による国際交流を通して、日本人は、日本とは何かということについて考える機会を得た。異文化を学ぶことにより、日本人は日本の文化を再認識、再発見する。トランス・ヒマラヤ地域から、どうして留学生たちが日本にきているのかを考えることにより、この地域の歴史と文化の現状を学ぶことになる。このことにより、日本人は、日本とは何か、国際政治とは何か、そして、国際社会における日本の役割は何かについて、理念ではなく現実の分析に基づいた結論を得ることができる。
 日本とチベットとの間の100年以上に渡る歴史は、1899年に仏教の原典研究のため鎖国状態のチベットに単身入国し、セラ僧院に留学した河口慧海に始まる。その後、1959年以降インドに亡命したチベット人は、いまや国境を越え、欧米をはじめ日本に在住する多国籍チベット人となり、それゆえに物事をグローバルに見ることのできる国際人となった。実際、2005年に日本に帰化したペマ・ギャルポは、チベット人でありながら同時に日本人として、日本文化と日本社会について日本人に発信し続けている(18)。したがって、現在の亡命チベット人の役割は、日本人が日本を理解し、国際人としての物事の見方を学ぶための機会を提供しているということができる。

6.  おわりに
 トランス・ヒマラヤ・ネットワークは、地政学に基づく国際政治学者である倉前盛道、日本在住亡命チベット人・日本人でNPO法人チベット教育福祉基金を運営するペマ・ギャルポ、そして、教育者・元衆議院議員で学校法人国際開洋学園理事長を務める井脇ノブ子の連携により形成された。彼らに共通するのは、強い意志と行動力である。
 さらに、トランス・ヒマラヤ・フェスタという文化交流の定期的開催を通して、トランス・ヒマラヤ地域の留学生と日本人との間に、相互理解と互恵性に基づく人的ネットワークが形成された。教育支援による人材教育は、ソフトな平和的戦略であり、長期的視点からの平和構築に資するものである。トランス・ヒマラヤ・ネットワークは、現代における文化交流を通した、新しい形の連携である。
 異文化交流を通して、チベット人をはじめとするトランス・ヒマラヤ地域の人々と日本人はそれぞれがともに、異文化と同時に自己の文化を理解する。このことにより、両者は国際社会における自己定位が可能となる。ネパールからの留学生が卒業後も、自分はネパールの首相になりたいと勉学を続ける背景には、自分の国を外から見ることによって理解し、さらに、将来どのような国をつくるべきかとの展望を得たからであろう。日本在住亡命チベット人は、トランス・ヒマラヤ・ネットワークの形成を通して、このための場をトランス・ヒマラヤ地域の人々と日本人に提供し続けているのである。

付記:本稿は平成27−29年度科研(JSPS 15KO1874)による研究成果の一部である。

注:
(1) http://tibet-tcc.sakura.ne.jp/TCC-K/TCC-K.html 2015/10/14
(2) http://blogs.yahoo.co.jp/yoshi2_99/23341159.html 2015/10/14; http://mixi.jp/view_event.pl?comm_id=24517&id=55761924 2015/10/18; http://trans-himalaya.jimdo.com/ 2015/10/14 http://freeasia2011.org/japan/archives/2585 2015/10/14 http://tibet-tcc.sakura.ne.jp/TCC-K/TCC-K.html 2015/10/14
(3) http://nrithyanjali.info/event.html 2015/10/17
(4)http://www.indofestival.com/shutsuen/stage_list2.html 2015/10/17
(5) 井脇ノブ子2015『やる気・元気・いわきー根性一代夢の花』東京、(株)ヒカルランド、141頁。
(6) 倉前盛道 https://ja.wikipedia.org/wiki 2014/12/19.
(7) ペマ・ギャルポのつぶやき(44)チベットと日本人3「倉前盛道」先生 http://www.youtube.com/watch?v=8ZzbGhfrPq8 2011/10/02.
(8) 木村肥佐生 http://d.hatena.ne.jp/keyword/ 2015/11/03.
(9) 西川一三 http://ja.wikipedia.org/wiki/ 2015/07/04.
(10)ペマ・ギャルポのつぶやき(43)チベットと日本人2「木村肥佐生」先生 http://www.youtube.com/watch?v=aIZ6SWYdyJI 2011/09/25.
(11)講演「異文化コミュニケーション・信頼と友情」ペマ・ギャルポ http://www.rid2640g.org/kojima/noticeboard/im/im6/koen.html 2015/11/03. ;ペマ・ギャルポ https://ja.wikipedia.org/wiki/ 2015/11/03.
(12)チベット文化研究会 http://tibet-tcc.sakura.ne.jp/TCC-G/TCC-G.html 2015/12/05.
(13) チベット教育福祉基金 http://tibet-tcc.sakura.ne.jp/TCC-G/TCC-G.html 2015/10/14.;チベット教育福祉基金とは‐全国NPO法人 http://www.weblio.jp/content 2015/10/14.
(14) 井脇ノブ子 https://ja.wikipedia.org/wiki/ 2015/10/11.
(15)井脇ノブ子2015『やる気・元気・いわきー根性一代夢の花』東京、(株)ヒカルランド、140−144頁。
(16) 倉前盛道 1977『悪の論理―ゲオポリティク(地政学)とは何か』東京、日本工業新聞社、144−145頁、183−187頁。
(17) 倉前盛道 1977『悪の論理―ゲオポリティク(地政学)とは何か』東京、日本工業新聞社、167頁。
(18) ペマ・ギャルポ 1997『「おかげさま」で生きる』東京、近代文芸社。;1998『「国」を捨てられない日本人の悲劇』東京、講談社。;1999『「お陰様」イズムの国際関係』東京、東洋堂企画出版社。;2001『立ち上がれ日本!目醒めよ、麗しの国』東京、雷韻出版。

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