チベット学会報第1号 [平成25年(2013年)]/第2号 [平成26年(2014年)]

チベット学会報第1号[平成25年(2013年)]

Pp.1-2.

Takashi Irimoto

On the Foundation of the Tibetan Studies Association (TSA)

The aim of the Tibetan Studies Association (TSA) (International Academic Association) is to contribute to the understanding of human being through the study of Tibetan culture and through international exchange.
The Tibetan Studies Association has two functions; it is an association for regional studies and also an association for studies of human being in general, that is, anthropology in a broad sense. In terms of regional studies, cultural regions are the subject of the study, including Ladakh, Kashmir in the West, Central Tibet, Eastern Tibet and Tibetans in Exile. There are regionality and commonality found in Tibetan cultures, despite sufficient and in-depth studies and information have not been accumulated yet.
Tibetan culture is a dynamic way of life, in terms of characteristics that are common to a certain group but recognized as different from those of other groups, such as language, livelihoods, social customs and norms, art, festivals, medicine, worldview and religion, character and spirituality, which are closely connected with ecology, society, history, inter-ethnic relationships, modernization, and the mind.
The history and prehistory stretch back to the time men advanced on to the Tibetan plateau where the people managed nomadic herding, agriculture and trading economy to establish the Tibetan Empire. Tibetan people practice Tibetan Buddhism which originated from Buddha Shakyamuni in Magadha in the 5th century B.C., spread throughout India, then to Central Asia, Tibet, China and Japan. During the course of its expansion, Tibetan Buddhism has developed to include a different of schools by incorporating, coexisting with and integrating local deities, thus allowing the concept to coexist with other deities. Tibetan culture is a whole body of such cultures which have changed, descended, and developed up to today.
Study of Tibetan culture is also study of human being in a broad sense. Tibetan ecology, society, and religion, and study of the interrelationships of these aspects, should lead to an understanding of the theory and of the entire human being, when they are compared with those of other cultures from a global perspective. This is because we will be able to find out where to place Tibetan culture among all human cultures, and at the same time, to find an answer to the question, “What is human being?” and “How should human being live?”

The aim, activities and administration of the association are as follows:
1. Aim
The aim of the association is to contribute to the understanding of human being through the study of Tibetan cultures and through international exchange.
2. Name of the Association
Tibetan Studies Association(TSA)
3. Secretariat Office
c/o. Takashi Irimoto, Ph.D., Professor Emeritus, Graduate School of Letters, University of Hokkaido, Sapporo, Japan 060-0810
4. Activities of the Association
1)Organizing a general meeting (international workshop/conference/ symposium)
2)Collection and sending out of information on Tibetan studies
3)Exchange of information and cooperation with other related academic associations
4)Other undertakings necessary for the Tibetan studies
5. Qualification for Membership
1)Interest in the study of Tibetan cultures
2)Free entrance and/or annual membership fee.
6. Administration
1)The chair represents TSA.
2)The secretariat performs TSA general affairs and publicizes and organizes the international workshop/conference/symposium.
3)The advisor gives advice to TSA when necessary.
4)A general meeting (international workshop/conference/symposium) will be held on certain years and the general meeting acts as the decision-making body of the association.

                               
@ 2013 TSA

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チベット学会報第1号[平成25年(2013年)] 

Pp.3−4.

チベット学会」の設立にあたって

煎本 孝

 チベット学会(Tibetan Studies Association : TSA)(国際学術学会)は、チベット文化の研究と国際交流を通して人類の理解に貢献することを目的として、平成23年(2011年)12月に創設された。
本学会は、地域研究学会としての機能と、人間の研究という広義の人類学の研究のための学会という2つの機能をあわせ持っている。地域研究としては、チベット文化地域が対象であり、西のラダック、カシミール、中央チベット、東チベット、そして、亡命チベットを含む。これらチベット文化においては、いまだ世界的に研究・情報の集積が十分に整備されていないが、地域性と共通性が認められる。
チベット文化とはチベット地域独自にみられる動的生活様式―言語、生計、慣習、規範、芸術、祭礼、医療、世界観と宗教、性格と精神性等―であり、これらは生態、社会、心、歴史、民族間関係、国際関係、現代化とグローバリゼーション等と密接に関連している。
歴史と先史は、人類がチベット高原に進出し、遊牧、農耕、交易経済を営み、国家を樹立したことにまで遡る。チベットの人々はチベット仏教を実践する。チベット仏教は紀元前5世紀におけるマガダ国のブッダ・シャカムニに起源し、その仏教はインドから中央アジアチベット、中国、そして、日本にまで伝播した。その拡散の過程で仏教は地域固有の神々と混合、共存、統合し、また、さまざまな学派が展開した。こうして、地域ごとに独自の宗教文化が形成され、チベット仏教もそのひとつであるということができる。チベット文化は現在に至るまで変化しながら継承、展開されてきたこのような文化の総体である。
チベット文化の研究は、同時に広く人間の研究でもある。チベットの生態、社会、宗教と、これらの間の相互関係の研究は、他の諸文化とグローバルな視点から比較することにより、人類一般の理解と理論に通じるものと考えられる。そうすることにより、チベット文化を人類文化全体の中で位置づけながら、同時に「人間とは何か」、そして、「人間はいかに生きるべきか」というより一般的な問題に近づくことができるからである。

チベット学会規約
1.趣旨 本学会はチベット文化の研究と国際交流を通して、人類の理解に貢献することを目的とする。
2.学会名 チベット学会
Tibetan Studies Association (TSA)
 3.事務局  〒060-0810 札幌市北区北10条西7丁目
北海道大学大学院文学研究科気付 
       北海道大学名誉教授 煎本 孝 
4.事業内容 (1)2〜4年に1度総会(国際ワークショップ、国際研究集会、国際シンポジウム等)開催
(2)チベット研究に関する情報の収集、発信
(3)関連学会との間での情報の交換と相互協力
(4)その他チベット研究に必要な事業
5.会員資格等 (1)チベット文化の研究に関心のある方
(2)入会金、年会費等無料
6.運営 (1)会長はTSAを代表する。
(2)事務局はTSAの庶務、国際ワークショップ、国際研究集会、国際シンポジウム等の案内、運営を行う。
(3)顧問はTSAに対して必要に応じ助言を行う。
(4)国際ワークショップ、国際研究集会、国際シンポジウム等開催年に総会を行い、総会を決定機関とする。

©2013TSA

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チベット学会報第2号[平成26年(2014年)]

Pp.1–12.

中国青海省A県におけるチベット語教育の現在
チベット語塾開講の事例を中心に−

上原 周子

1.はじめに
 本稿では、中国青海省A県でのチベット語教育に関する調査結果を報告する。とくに、チベット族の集落で近年、開講されるようになったチベット語塾の調査結果を中心に報告し、A県におけるチベット語教育の現在を明らかにする。
 清代初期までA県ではチベット族が中心的な民族であった。しかし、漢族、回族などの流入により、次第に他民族の人口がチベット族を上回るようになった(陈主編 2004:382-383、A県地方志編纂委員会編 1993:656)。現在のA県ではチベット族以外の民族が自治権を握っているが、そうした特定の民族県・州等での学校教育は、基本的に各県の自主管理に任されている1)。チベット語教育に関してA県は、チベット族の集住地域におけるチベット語と中国語の二言語教育の実施を県の自治条例で規定している2)。それにも関わらず、中学校までの学校教育では、チベット族が集住する地域であっても積極的にチベット語の授業は実施されていないのが現状である。
 また、ここ数年で青海省における民族教育の状況が大きく変わりつつある。その第一の契機が、2010年9月に公布された「青海省中长期教育改革和发展规划纲要(2010−2020年)」である。この大要の「民族教育」の項目には、青海省における新たな民族教育の方針が述べられている。その内容は、中国語での教育を主軸としながら、中国語と民族言語の併用を少数民族の学生に習熟させ、さらには小学校での教育は2015年までに中国語を主軸とし、民族言語はその補助として用いるというものである3)。青海省全体における、こうした教育方針の変更は、チベット族の関心と混乱を呼び起こし、これまでチベット語で教育を行ってきた地域でのデモを誘発した(三橋 2011:337-338)。また、2011年末には、青海省にある小学校から大学までのチベット語教育を停止するよう省政府から通達が発せられ、それに反発したチベット族と政府との関係が悪化する事件も起きている。
このように、A県におけるチベット語教育の現状にくわえ、民族教育方針の変更など、近年では省をあげての圧力がチベット語教育に対して強まっている。そのため、A県のチベット族は、チベット語はもちろんのこと、これまで維持・継承されてきた伝統文化の将来についても危機感を募らせており、少しでも状況を改善したいと考えている。チベット語塾はその改善策の1つとして、チベット族の集落を中心に開講が進められているものである。その開講により、公的な教育機関によらないチベット語教育をA県のチベット族は実現している。フィールドワークでは、チベット語塾を中心に調査を行い、A県におけるチベット語教育の現在を明らかにすることを試みた。
 本稿ではまず、公的な教育機関におけるA県のチベット語教育の現状のほか、A県の周辺県におけるチベット語教育、および日常的なチベット語使用の現状に関する調査結果を報告する。次に、A県のB集落、C集落で開講されているチベット語塾を対象に行った調査結果を報告する。最後にA県におけるチベット語教育の現在について論じたい。なお、フィールドワークは2012年の1月、8月、12月、および2013年の7月から8月にかけて断続的に行った。調査の際は通訳者を介した。使用言語はチベット語と日本語である。

2.公的な教育機関におけるA県のチベット語教育の現状
A県で現在実施されている学校教育制度の基礎は、1980年代に立てられた。1970年代までは文化大革命の影響もあり、A県の公的な教育機関は機能していなかった。そのため、例えば、回族のモスクなどに回族チベット族の子供たちを集めて授業を行っていたという。その後、70年代末に文化大革命が収束、1984年に学校教育制度に関する改革プロジェクトが開始された。しかし、A県の自治権チベット族以外の民族が握っており、これまで学校教育のカリキュラムにチベット語の授業が積極的に組み込まれることはなかった。近年は、それについて県政府に相談・抗議するチベット族も増えたせいか、チベット語の授業をカリキュラムに組み込む学校も地域によっては見られるようになった。そうは言っても、週に1授業、多くて2、3授業しか実施されていないのが現状である。

表1 A県某郷小中一貫校における小学校4年生の時間割表(2011年度後期)
1時限目 2時限目 3時限目 4時限目
チベット語 中国語 数学 英語
火 数学 数学 中国語 中国語
水 中国語 中国語 中国語 数学
木 数学 数学 中国語 中国語
金 英語 中国語 数学 作文
 
上の表1は、A県某郷の小中一貫校で小学校4年生を対象に実施された2011年度後期4)の時間割表である。チベット語、中国語、英語、数学、作文の授業があり、語学ではチベット語の授業が最も少なく、週に1コマしか実施されていない。逆に、最も多いのは中国語の授業であり、週に9コマも実施されている。さらに全ての授業は中国語を介して行われている。この学校ではチベット族と漢族が同じ教室で一緒に授業を受けるが、某郷自体はチベット族が集住し、チベット語の授業がもっと多く実施されても良さそうなものである。しかし、チベット語の授業は週に1コマしか行われていない。
小学校課程と同様、中学校課程でも依然としてチベット語の授業がカリキュラムに組み込まれることはなく、その実施を県政府は基本的に許可していない。A県のチベット族が公的な教育機関チベット語教育を受けることができるのは、県都の民族高校に進学した場合に限られる。県都には普通高校もあるが、やはりカリキュラムにチベット語の授業は組み込まれていない。こうした公的な教育機関におけるチベット語教育の現状について、A県のチベット族は当然、大きな不満を抱いている。また、その不満は単にチベット語教育が十分に実施されないことにとどまらない。チベット語塾について調査を行ったB集落では、「チベット語ではなく中国語を話すようになれば、私たちは中国人になってしまう」、「チベット語が話せなくなったら、読経できなくなってしまう」などの話が聞かれ、ほかにもそうした話がA県のチベット族からはよく聞かれる。この発言には、母語喪失が自民族や伝統文化の喪失につながることへの危機感が表明されているが、公的な教育機関チベット語教育が十分に実施されないことに対する不満にもまた、チベット族の伝統文化の衰退・消滅への危惧が含まれていると考えられる。
事実、A県の民族状況や言語の使用状況を鑑みると、その危惧はチベット族による思い過ごしとは言い難いものがある。A県にはチベット族のほか、漢族、回族、サラ族など、複数の民族が同居しており、多民族集落も多く存在する。民族間の共通語には、一般に中国語が使用されている。したがってA県で生活を営む上で、中国語の習得が必須なのは仕方の無いことではある。しかし、それはA県のチベット族が使用するチベット語に様々な影響を与えてもいる。例えば、A県のチベット族が現在使用するチベット語には、中国語の発音や語彙の影響が強くみられる。地域によっては、チベット仏教儀礼に用いる祝詞を詠む際のチベット語に中国語発音の強い影響がみられることもある。また、チベット語が話せない若いチベット族が増えている。調査の際、多民族集落に居住する小学校4年生のチベット族と知り合ったが、その学生は綺麗な発音で中国語を話す一方、チベット語は話すことも理解することもできなかった。中学校までの学校教育にくわえ、日常生活でもチベット語の使用機会が少ないとなれば、若年層のチベット族が正しいチベット語を身に着けることができないのは当然のことである。
また、こうした状況はA県だけにみられる問題ではない。A県の周辺県も同様の問題を抱えており、むしろA県以上に周辺県の状況は深刻である。公的な教育機関でのチベット語教育、および日常的なチベット語使用の現状に関する調査を、A県の周辺5県で行った。その結果、次の3点が明らかになった。第一に1県を除く他4県では公的な教育機関チベット語教育が一切行われていないこと、第二にチベット語教育を私的に行う集落もあるが順調にはいかないこと、第三に日常生活でチベット語を使用しない(できない)チベット族が多くなったため、チベット仏教の活動が衰退した集落の現れていることである。このように、A県と1県を除く他4県では、チベット語が衰退・消滅しつつあると同時に、伝統的なチベット仏教の活動もまた衰退しつつある。今後、その4県ではチベット語、およびチベット仏教の伝統的な活動が、さらに衰退の一途を辿ることが予想される。
 以上、A県とその周辺県ではチベット語、およびチベット仏教の伝統的な活動の維持と継承が困難になりつつある。また、すでに周辺県では、チベット語の衰退とともに伝統的なチベット仏教の活動も衰退している地域も存在しているのである。そこで近年、A県のチベット族は、そうした状況を改善するため、公的な教育機関によらないチベット語教育を実践するようになった。それは夏冬の長期休暇の際、チベット語塾を開講するというものであり、チベット族の集落を中心に開講が進められている。次章では、A県のB集落とC集落におけるチベット語塾の調査結果を報告したい。

3.A県のチベット族集落におけるチベット語塾の開講
3−1.B集落の事例
B集落はチベット族のみが居住する集落であり、戸数は約80戸である。長期休暇中のチベット語塾は2011年から開講している。下は学前児童から上は中学生まで、約60人の子供たちが塾に参加する。最近、新築されたマニカン5)を半分利用して、黒板や机などを設置し、教室を作っている。クラスは、幼稚園クラス(小学校入学前)、初級クラス(小学校1年生程度)、中級クラス(小学校2年生程度)、上級クラス(小学校3年生以上)の4つに分かれている。塾の開講には、B集落の在家僧侶たちが主に携わっている。チベット語の授業を行う講師には、県外のM大学からチベット族の大学生を招き、毎回担当してもらう。M大学にはチベット語を教えるボランティアサークルがあり、A県のチベット仏教寺院Z寺の僧侶を通じてそのサークルに協力を要請する。2013年の夏期休暇では4人の大学生が招かれていた。また授業では、集落に縁のある県外のチベット族が寄贈してくれたチベット語の教科書を使用する。
塾の授業内容については参与観察を実施した。学前児童が参加する幼稚園クラスを対象に、2013年7月26日の14時から14時30分まで観察を行った。講師はM大学3年生の男子学生が担当し、生徒は全部で20人ほどであった。観察者、および通訳者は最後列に席をとり、隣席の生徒に教科書を見せてもらいながら授業に参加した。以下、参与観察の結果を時系列で報告する。

参与観察の結果
14:00 昼休みが終わり、生徒たちが続々と教室に集まってくる。講師はすでに教室で生徒たちが全員集まるのを待っている。生徒たちは席につくなり、話したり、後ろを向いたりするなど、落ち着かない様子である。

14:10 講師が「30ページを開いて。教科書は持ってきていますか?」と生徒たちに聞く。生徒たちは教科書を開き、授業の準備を始める。

14:12 講師が「午前中の復習をします」と言い、「ガカガナ、ググ、シャンチュ、ジョンイ、ナロ」と大きな声で読み始める。生徒たちもその後に続いて、教室が張り裂けんばかりの大声で復唱する。復習が終わると、新しいチベット文字(このときは、ワから)の発音を講師が教え始める。講師が教科書を見ながら発音した後に続いて、生徒たちは大声で復唱する。その間、よそ見をしていた生徒2人に対し、講師が「教科書を見てください」と注意をする。ワからのチベット文字の復唱が終わると、今度は教科書に載っている単語の意味についてジェスチャーを交えながら、講師が説明を始める。例えば、車のハンドルを持つ真似をしながら「カロワは運転手です」、料理を作る真似をしながら「シャモは調理師です」、などのように説明する。

14:16 講師が黒板に9つの単語を書き、その発音を教える。まず、講師がひとつひとつの文字を発音したあと、その単語全体を読む。生徒は講師のあとについて読む。これを5回以上繰り返す。

14:25 講師は、声に出して読まない生徒に「ちゃんと読んでください」と注意した後、全員に向かって「読めますか?」と聞く。それから、単語の文字をひとつひとつ発音して単語全体を読むことを数度繰り返す。講師の後に続いて生徒が読むほか、「自分で黒板を見て読んでください」と言って、生徒だけに声を出して読ませたりもする。

14:30 講師が「誰か教えることはできますか?」と生徒たちに言うと、1人の女子生徒が手をあげる。すると講師は、その生徒に自分の持っていた黒板の指し棒を渡す。生徒は棒を受け取ると、黒板の前に立ち、その棒でチベット語の文字をひとつひとつ指しながら、大声で読んでいく。座っている生徒たちは、その女子生徒のあとについて読む。女子生徒が8個目の単語の読みにつまずくと、講師が「次できる人、教えてください」と言う。すると、他の女子生徒が手をあげ、黒板の前に立ち、棒で文字を指しながら8個目の単語を読む。残りの生徒たちもあとに続いて読む。その間に講師は、ちゃんと黒板を見て読んでいない子供の頭に、自分の持っている小さなチョークを軽くぶつけて「黒板を見なさい」と注意をする。

14:35 女子生徒が最後の9個目の単語を読み終わると、講師に棒を返して席に戻る。講師は黒板の前に立ち、再度、ひとつひとつの文字、そして単語全体を棒で指しながら読む。生徒たちも、その後に続いて大声で復唱する。それを3度、繰り返したあと、講師が「みんな、一生懸命読んでください」と言い、もう一度、復唱する。それから講師が「読むことができますか?」と言い、子供たちだけに復唱させる。終わると、講師は「いま黒板に書いてある単語をノートに書いてください、2回ずつ書いてください」と言う。

 以上がB集落で実施した参与観察の結果である。約30分間の授業内容は、主にチベット語を声に出して繰り返し読むということに充てられていた。参与観察を行ったクラス以外の授業でもまた、チベット語を声に出して繰り返し読むことが重点的に行われていた6)。一方でチベット語を書くことは、それほど重視されておらず、なかにはノートを持たない生徒も多くみられた。

3−2.C集落の事例
 B集落同様、C集落もチベット族のみの集落である。戸数は約70戸であり、長期休暇中のチベット語塾は2009年から開講している。集落内の小学校は利用不可のため、マニカンの境内に机や椅子、黒板などを設置して授業を行っている。下は小学校1年生から上は中学生まで、約40人の子供たちが塾に参加する。クラスは3つに分けられており、境内も3区画に分けて利用している。授業は8時に始まり、12時から3時間の休憩を挟んだ後、15時から17時まで行う。C集落では在家僧侶たちが塾の開講に特別携わっているということはなく、開講の経緯もA県のチベット仏教寺院Y寺の僧侶に勧められたことによる。授業の講師もまた、その僧侶のつながりで県外にあるM大学の大学生が毎回来てくれることになっている。2013年の夏期休暇では、M大学から3人の学生が講師として招かれていた。
 C集落でも塾の授業内容について、参与観察を実施した。参与観察は2013年7月29日の15時から16時5分まで行った。当日午後は課外授業として歌遊びが行われたため、それを観察対象とした。課外授業は集落の文化広場で行われた。歌遊びでは男子生徒と女子生徒に分かれ、対面しながら行われた。観察者と通訳者は、男女両グループと講師たちの動きが見渡せる位置で観察を行うと同時に、ムービーカメラでの録画も行った。以下、観察結果を時系列で報告する。

参与観察の結果
15:00 講師と生徒は一度マニカンに集合したあと、全員で文化広場まで歩いていく。マニカンから広場までは徒歩3分ほどの距離である。広場に到着すると、生徒たちは自由に遊び出す。そのうち講師たちの指導のもと、男子生徒は一箇所に集合して整列する。一方、女子生徒はしばらく輪になって遊んでいる

15:07 「うたってください」と男子生徒たちが女子生徒たちに向かって言う。しかし、女子生徒たちはかまわず輪になって遊んでいる。

15:10 男子生徒たちが、Phurbu T Namgyalというインドのダラムサラで活躍するチベット人男性シンガーの歌をうたう。

15:12 男子生徒がうたううちに女子生徒たちが遊びをやめ、男子グループに向き合って整列する。男子生徒がうたい終わると、次に女子生徒が全員で『母を見ると笑っています』という内容のチベット語の歌をうたう。講師が「大きな声でうたってください」と注意する。

15:14 男子生徒全員で『女の人たち、踊ってください、僕がうたいます』という大変人気のあるチベット語の歌をうたう。うたい終わると、女子たちから「いい歌ですね」と声が上がり、拍手が起きる。

15:17 女子生徒全員でチベット語の歌をうたい始めると、男子生徒たちが「聴こえないので、もっと大きな声でうたってください」と女子生徒に言う。すると女子生徒たちが大きな声で『良い人になりたい』という内容のチベット語の歌をうたう。

15:18 男子生徒全員で『ラサは良い場所にあります』という内容のチベット語の歌をうたう。男子がうたい終わると、みんなが拍手をする。女子生徒全員で『高い山』という内容のチベット語の歌をうたう。

15:20 男子生徒全員で『鹿を賞賛する歌(鹿はかわいいです、きれいですなど)』をチベット語でうたう。長くうたっていたせいか、講師が「早く歌い終わってください」と言う。すると男子生徒たちはすぐに歌い終わり、「グウー」と女子生徒に向かって言う。ちなみに「グウー」とは、「うたい終わったので、早く次をうたってください」という意味のチベット語のかけ声である。

15:21 女子生徒がうたわないので、男子生徒がふたたび『鳥を賞賛する歌』をチベット語でうたう。それが終わると、女子生徒全員で中国語の歌をうたうが、それが終わらないうちに男子たち全員がチベット語の『星の歌』をうたう。男子がうたい終わり、全員で拍手をする。

15:23 男子生徒が女子生徒に向かって「グウー」と言うが、女子生徒がうたわないので、また男子生徒全員で今度はチベット語で『孔雀の歌』をうたう。しばらく男子の歌を聴いていた女子たちも、『孔雀の歌』を一緒にうたいだす。

15:27 みんながうたい終わって、講師が女子生徒たちに向かって「何をうたいますか」と聞く。男子生徒たちは広場の奥の方に移動し、各人が何を歌うかを相談し、準備をする。女子生徒たちも誰が何を歌うかの相談を始める。

15:29 講師が「準備はできましたか」と聞く。奥の方にいた男子生徒たちが、ふたたび元の場所に戻って整列し、拍手をする。

15:30 講師が女子生徒に対して「早く準備してください」と言うと、再び男子生徒たちが拍手をする。女子生徒2人が前に出てきて、『今日はいい日です』というチベット語の歌をうたう。女子生徒2人がうたい終わると、男子生徒1人が前に出てきて、みんなが拍手をする。男子生徒がチベット語で『今日は沢山人がいます』という内容の歌をうたいはじめると、拍手が手拍子に変わる。

15:33 次に女子生徒2人が前に出てきて、『姉を賞賛する歌』をチベット語でうたう。

15:35 男子生徒2人が、さきほどの女子生徒の『姉を賞賛する歌』への返歌『そうです、姉は良い人です』という内容の歌をチベット語でうたう。ほかの生徒たちは手拍子をとる。

15:36 女子生徒2人が前に出てきて、なにやら小声で相談したあと、1人は恥ずかしさのためか男子生徒に背中を向けたまま、『草原を賞賛する』という内容の歌をチベット語でうたう。女子生徒から拍手がおきる。

15:37 中学生と思われる体格の良い男子生徒2人が前に出てきて、別の男子生徒がすでにうたった『女の人たち、踊ってください、僕が歌います』をもう一度うたう。女子、男子、ともに拍手、手拍子、とくに男子学生からは「いいぞ!」と、かけ声がかかる。

15:40 女子生徒2人が前に出てきて、『兎は賢い』という内容の歌をチベット語でうたう。

15:41 男子生徒1人が前に出てくる。他の男子生徒から拍手がおきる。『両親への感謝の歌』をチベット語でうたう。講師が「大きな声で歌って!」と全員を注意する。男子生徒がうたい終わると、男子生徒全員が拍手をする。

15:42 なかなか前に出ようとしない女子学生に対して、講師がうたうように促す。すると、3人の女子生徒が前に出てきて踊りはじめ、他の女子生徒全員がその踊りに合わせてうたう。歌は、別の女子生徒もうたった『今日はいい日です』というチベット語の歌である。

15:44 男子学生20人ほどが前に出てくる。講師がスマートフォンで韓国人歌手PSYの『江南STYLE』という曲をかけて、「踊ってください」と言う。男子生徒はPSYのダンスを真似て、無邪気に踊る。それを観ている女子生徒たちにも講師は「踊ってください」と言うが、女子生徒たちは恥ずかしがって踊らない。

15:45 女子生徒5人が前に出てきて、中国語の歌をうたう。すると、「中国語の歌はダメ!」と数人の男子生徒が非難する。うたい終わると、女子生徒から拍手が起きる。

15:47 男子生徒1人が前に出てきて、『今朝、家を出るとき、おばさんが気をつけてねと言った』という内容の歌をチベット語でうたう。

15:48 女子生徒に向かって講師が、「誰がうたいますか?」と声をかける。しばらくして、3人の女子生徒が前に出てきて、中国語の歌をうたう。

15:50 講師が「出ろ」と言って、首の後ろをつかんで無理やり3人の男子生徒を前に出す。生徒たちは中国語の恋愛の歌をうたい、終わると男子生徒が拍手をする。

15:51 なかなか次にうたう女子生徒が出てこないので、男子生徒が「早くうたってください!」と騒ぎ始める。それでも女子生徒が出てこないので、男子生徒が「早く!早く!時間がない!」と言い始める。しばらくすると女子3人が前に出てきて、中国語の歌をうたう。

15:55 男子生徒2人が前に出てきて、『ふるさとはA県です』というチベット語の歌をうたい始める。終わると、男女両方から拍手が起きる。

15:56 女子生徒2人が出てきて、『私の国は中国です』という中国語の歌をうたう。うたい終わっても拍手が無いので、講師が生徒たちに「拍手をしてください」と言うと、女子生徒からは拍手がおきるが、男子生徒からは拍手がおきない。

15:56 講師が無理やり男子生徒1人を前に出す。男子生徒は、『飴、種、ピーナッツ』をテーマにしたチベット語のユーモアソングをうたう。

15:58 女子生徒1人が前に出てきて、『その女性は照れ屋さん』という内容の歌をチベット語でうたう。

16:00 男子生徒3人が前に出てきて、『あなたは私の運命の人』というチベット族の歌手が中国語でうたったものをうたう。終わると、男子生徒みんなが拍手をする。

16:01 講師が無理やり女子生徒2人を前に出すが、小さな声で少しうたっただけで、後ろに戻ってしまう。その後、男子生徒1人が出てきて、『お経の歌』をチベット語でうたう。終わると、みんなで拍手をする。

16:05 最後に全員で『今日はみんな一緒に遊んで嬉しかった』という内容の歌をチベット語でうたう。うたい終わると歌遊びは終了し、男女ともにそれぞれ自由に広場で遊び始める。

 以上、C集落での参与観察の結果を報告した。一見、単なる遊びのようであるが、うたわれた歌、生徒や講師による言動を鑑みると、この課外授業の目的が明確になると思う。まず、遊びでうたわれた曲数は、重複を除き全部で31曲、そのうちチベット語の歌は23曲(74.2%)、中国語の歌は7曲(22.6%)、韓国語の歌は1曲(3.2%)であり、チベット語の歌が最も多くうたわれていた。チベット語の歌には、伝統的な歌21曲、現代的な歌1曲、インドのダラムサラで流行しているチベット語の現代的な歌1曲が含まれており、伝統的な歌が最も多かった。伝統的な歌の内容には、母や姉、伯母(あるいは叔母)、両親への感謝など、家族の大切さ(5曲)、良い人になること(1曲)、お経の歌(1曲)などの仏教的倫理観に関するもの、さらに高い山、鹿、鳥、星、孔雀、兎、草原といった景観や動物への賛美を通したチベットの自然観に関するもの(7曲)などが含まれていた。生徒や講師による言動では、女子生徒のうたう中国語の歌を男子学生が途中で遮る、非難するなどの行為や、「大きな声で歌ってください」という注意を、講師たちが生徒に対して何度も呼びかける場面が見られた。ここから課外授業では、チベット語チベットの伝統的な歌をうたうこと、大きな声を出すことが生徒たちに求められていたことが明らかとなる。もっとも、現実には、チベット族の歌手による中国語の歌1曲を含め、7曲の歌が中国語でうたわれていたことも事実である。
さて、ここまでB集落とC集落で開講されているチベット語塾とその授業内容に関する調査結果を報告したが、両集落のチベット語塾にはいくつかの共通点を指摘することができる。まず、集落のマニカンを利用して教室をつくり、授業を行っていた。また、両集落ともA県にあるチベット仏教寺院の僧侶が塾の開講に関与していた。とくに講師の招聘は、僧侶とM大学とのつながりによるものであった。授業内容に関する参与観察では、座学授業と課外授業という観察対象に違いはあるが、両集落の授業ともチベット語の発声を重視する点で共通していた。
 チベット語の発声を重視することに関して言えば、チベット語の読みを教授するのが、古くから行われてきたA県のチベット語教育の基本であると、Z寺やその他の僧侶たちからは聞く。ここで言う読みは、発音はもちろんのこと、発声も含む。経本に書かれたチベット語の読みについて、寺院の僧侶は在家僧侶に、在家僧侶は集落の人々に教えるのが習わしであるという。現在も在家僧侶はチベット仏教寺院に定期的に集まり、経本に書かれたチベット語の読みを寺院の僧侶から学ぶ。そうして、集落の人々に学んだことを伝えたり、集落で行われる様々な読経活動の際に活かしたりする7)。このように、寺院の僧侶−在家僧侶−集落の人々の間でチベット語の読みを教え学ぶことは、A県のチベット語教育の伝統であり、チベット仏教の伝統的な活動をこれまで支えてきたと言える。そして現在、B集落、C集落で開講されているチベット語塾の授業にも、その教育の伝統が取り入れられている。その点において、両集落のチベット語塾は単にチベット語を教えるにとどまるものではなく、それ自体が伝統を受け継ぐものとして位置づけられる。また、伝統ということで言えば、C集落の課外授業では歌遊びが行われ、チベットの伝統的な歌が多くうたわれていたが、歌遊びはそれ自体が古くから行われてきたチベットの文化であり、伝統的な歌には仏教的倫理観や自然観など、チベット独自の価値観が反映されたものが含まれていた。すなわち、C集落の課外授業は、チベットの伝統文化や価値観を教育する役割を合わせ持つものとしても位置づけられる。

4.おわりに
本稿では中国青海省A県におけるチベット語教育に関する調査結果を報告した。まず、A県、および周辺県の公的な教育機関におけるチベット語教育、ならびに日常的なチベット語使用の現状に関する調査結果を報告した。そこからA県同様、周辺県の公的な教育機関においてもチベット語教育は実施されておらず、チベット語、およびチベット仏教の伝統的な活動の維持・継承が困難になりつつあることを明らかにした。また、A県のB集落、C集落で開講されているチベット語塾の調査結果を報告し、その分析をもとに両集落におけるチベット語塾の共通点を指摘した。その結果、第一にマニカンを利用して授業を行っていること、第二に塾の開講にA県のチベット仏教寺院の僧侶が協力しており、とくに僧侶とつながりのあるM大学の学生が講師に招かれていること、第三にチベット語の読みを重視するという、A県のチベット語教育の伝統が授業に取り入れられていることが明らかになった。さらに第三に関しては、両集落のチベット語塾は単なる塾にとどまるものではなく、それ自体がA県におけるチベット語教育の伝統を受け継ぐものとして位置づけられた。C集落の課外授業に関しては、歌遊びを通じてチベットの伝統文化や価値観を教育する役割を合わせ持つものとしても位置付けられた。
ここまでの論において明らかになった点だけを見れば、B集落、C集落のチベット語塾はあたかも伝統にこだわって開講されているかのようであり、その視点からA県におけるチベット語教育の現在を結論づけたくなる。しかし、ここで再度、C集落の課外授業について思い出すべきであろう。課外授業として行われた歌遊びのなかで、チベット語や中国語の歌以外にも韓国語の歌、さらにはインドのダラムサラで流行しているチベット語の歌がうたわれていたのを看過することはできない。韓国語ならまだしも、インドのダラムサラの音楽は中国国内では流通していないものである。それなのにC集落の子供たちが知っていたのは、インターネット通信等から情報を得たことによるものと推測される。中国ではここ数年で携帯電話やスマートフォンが急速に普及し、パソコンがなくともインターネットを利用することができるようになった。都市と農村における情報伝達速度の差はますます縮小され、農村にあっても国内外の最新情報、最新文化をいち早く入手することができる。当然A県のチベット族も例外ではなく、インターネット通信を通じて日常的に国内外の最新情報、最新文化に触れているであろう。それを考えると、伝統文化と最新文化の混在するA県チベット族の日常のなかにチベット語教育は存在するのであり、A県におけるチベット語教育の現在はその視点から論じなければならない。これについては今後、さらなる調査・研究が必要となるであろう。
また、端的に言って、これはグローバル化の問題であり、チベット語や伝統文化を危機に追いやっているものが中国語授業のみならず、実は中国におけるグローバル化の影響でもあることを暗に示す。事実、中国におけるグローバル化の展開は、すでに学校教育にも影響を与えている。ここで再度、第2節で提示した表1の時間割表を参照すると、中国語やチベット語の授業がある他、英語の授業が週2コマ実施されている。中国では、小学校3年生からの英語教育が2001年より導入されており、それについて新保(2011:39)は「2001年の中国のWTO加盟や2008年の北京オリンピック開催というグローバリゼーションの大きな潮流に呼応するものであった」と指摘する。青海省では教師の質や、中国語・チベット語・英語の三言語を同時に学ぶ負担等の問題から、英語教育が順調に進んでいるとは言い難い(新保 2011:47-49)。とはいえ、このまま英語教育が浸透し、インターネット等の情報通信がますます発達するとなれば、チベット語チベット族の伝統文化を本当の危機に追いやるものは、中国語からグローバル化へと変わっていくのかもしれない。
 しかし、A県の長い歴史から見れば、漢族や回族などの移民とともに異文化は常に流入してきたのであり、そのなかでチベット族の文化は今日まで維持・継承されてきた。そればかりか、チベット族の伝統文化の形成過程において、他民族の流入による生業と社会構成の変化が大きな影響を及ぼしている(上原 2012:56-57)。新たに流入する情報や文化は、必ずしも伝統文化を排除するものではない。方法次第では両者の共存、共生は可能であり、時代を超えて伝統文化を維持・継承する過程で、その方法を模索することが必要となるであろう。事実、A県のチベット族グローバル化の波を受容する一方で、チベット語塾の開講を通じてチベット語や伝統文化の維持・継承を図っている。A県におけるチベット語教育の現在は、その模索の途上に存在するのである。


1)『中华人民共和国宪法』の「第一百一十九条」参照。
2)『A县自治条例』の「第六章第三十九条」参照。
3)『青海省中长期教育改革和发展规划纲要(2010−2020年)』の「11.民族教育」参照。
4)中国の公的な教育機関における2011年度後期は、日本では2012年度前期にあたる。
5)日本語で経堂のこと。チベット族の集落には大概マニカンがあり、チベット仏教の様々な読経活動が行われる。
6)教室として使用しているマニカンには内部を仕切る壁が無いため、他クラスの授業の様子も伺うことが可能であった。生徒たちは、張り上げんばかりの大声でチベット語を読み、その声は教室の外にまで響き渡っていた。
7)例えば、毎年7月にC集落で実施されるドンチュという読経活動では丸2日間、早朝から夕方まで、集落の人がマニカンに集合して読経する。その際、在家僧侶が一番前に座って読経し、活動全体の指揮をとる。在家僧侶と一部の人が経本を見ながら、読経する場面もある。
付記:本稿は平成23−25年度科研(JSPS 23320188)による研究成果の一部である。

参考文献
A县地方志编纂県地方志委员会编
1993.『A县志』,陕西出版社。
陈庆英主編
2004.『中国藏族部落』,中国藏学出版社。
三橋秀彦
2011.「グローバル化に直面する中国民族語教育−双語教育改革の現在−」,『亜細亜大学国際関係紀要』,20(1/2):337-354。
新保敦子
2011.「現代中国における英語教育と教育格差−少数民族地域における小学校英語の必修化をめぐって−」,『早稲田大学大学院教育学研究科紀要』,21:39-54。
上原周子
2012.「異民族の流入による社会変化とアムドチベット文化」,『北方学会報』,16:43-58。

参考URL
『中华人民共和国宪法』
 http://www.gov.cn/gongbao/content/2004/content_62714.htm
『A县自治条例』
 http://xxgk.qh.gov.cn/html/246/267276.html
青海省中长期教育改革和发展规划纲要(2010−2020年)』
 http://www.jyb.cn/china/gnxw/201009/t20100923_390109.html

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チベット学会報第2号[平成26年(2014年)]

Pp.13–15.

新刊紹介
『ラダック仏教僧院と祭礼』 煎本孝著 法蔵館 692頁 2014年

 本書は「人間とは何か」、そして「人間はいかに生きるべきか」という永遠の問いに答える目的のもと、自然誌―自然と文化の人類学―の視点からラダックにおける人々の世界と生き方を明らかにする。このため、本書では、仏教僧院における祭礼活動を中心に位置づけ、それに係わる人々の生き方の全体像を、僧院と村人との関係、仏教とシャマニズムとの関係、仏教と現代化に焦点をあて、体系的、実証的に明らかにする。これにより、著者の30余年にわたるインド領ジャム・カシミール州ラダックにおけるフィールドワークに基づく学術成果を公刊することになる。
本書は、第1部僧院の組織と祭礼、および第2部ラー(地方神)の登場する祭礼と僧院から構成される。第1部第1章において、自然誌の理論と方法論、フィールドワークの実践、目標と構成について述べる。第2章では、ラダックにおける仏教の歴史と展開を明らかにし、第3章では、僧院の組織と運営について、下手ラダックのラマユル僧院と僧のコミュニティー、僧の1年間の生活と経済基盤を記載、分析する。さらに、最近行われた僧院の運営における改革とその意味を分析し、現代化、グローバル化に直面するラダックの仏教僧院の現在を分析する。第4章では、ディグン・カーギュ派ラマユル僧院におけるカプギャット祭礼の過程を記載する。その上で、カプギャット祭礼における仏教的論理と僧院と村々との関係における生態学的意義を分析する。第5章では、同じラマユル僧院で行われるカンギュル祭礼について記載する。ここでは僧や村人たちの死生観について述べる。さらに、第6章ではデチョク(チャクラサンヴァラ)儀軌について記載し、第7章ではジトー儀軌、コンシャクス儀軌、ストンチョット儀軌について、外側からの観察と同時に、テキストに沿った内側からの分析を行い、瞑想を通した彼らの世界を明らかにする。
第2部第8章ではマトー・ナグラン祭礼、第9章ではストック・グル・ツェチュー祭礼、そして、第10章ではシェー・シュブラ祭礼について記載する。これらの祭礼においては、ラーが村人や僧に憑依し、登場する。したがって、ラー、王権、僧院、村人の関係、および現代化に伴う祭礼の変化と動態が分析される。さらに、第11章では、フィールドワーク中に起った仏教徒ムスリムとの間の暴力的衝突を記録し、ラダックにおける仏教の現状とその行方について述べる。
最後に、第12章では、ラダック仏教僧院における祭礼の特徴と意義を、祭礼における仏教的世界観、衆生への奉仕を目的とする祭礼の実践、祭礼の方法、祭礼の生態学的意義という点から明らかにする。また、チベット仏教とシャマニズムに関し、ラーへの信仰とシャマニズム、ラーの登場と僧院、ラーをめぐる政治的体系の位相について論じる。さらに、仏教と現代化との関係について、現代化と伝統、人々にとっての信仰の意味を、心という視点から論じ、結論と考察とする。

目次
プロローグ
第1部 僧院の組織と祭礼
第1章 フロンティア
1. 自然誌の理論と方法論
2. フィールド・ワーク
3. 目標と構成
第2章 ラダックにおける仏教
1. 仏教の始まりと伝播
2. ラダックにおける仏教の展開
3. ラダック王国と仏教
第3章 僧院の組織と運営
1. ラマユル僧院の組織
2. 僧の1年間の生活と経済基盤
3. 僧院の運営と改革
4. 改革の意味
第4章 カプギャット祭礼
1. ラダックに入る
2. カプギャット祭礼
3. カプギャット祭礼の準備
4. 舞踊
5. トルマの投捨
6. カプギャット祭礼における仏教的論理と生態学的意味
第5章 カンギュル祭礼
1. 再びラマユル僧院に入る
2. ラマユル・カンギュル祭礼
3. カンギュル朗唱の意味
4. カンギュル祭礼の背後にある死生観
第6章 デチョク儀軌
1. デチョク(チャクラサンヴァラ)とキルコル(マンダラ)
2. デチョク儀軌の実践
3. リンポチェの臨席と茶の奉献
4. デチョク儀軌最終日の僧と村人による祭礼
5. デチョク儀軌実践の意味
第7章 ジトー儀軌、コンシャクス儀軌、ストンチョット儀軌
1. ジトー儀軌とコンシャクス儀軌
2. ストンチョット儀軌の構成
3. ストンチョット儀軌の進行と内容
4. ジトー儀軌、コンシャクス儀軌、ストンチョット儀軌の特徴とカンギュル祭礼実践の意義
第2部 ラーの登場する祭礼と僧院
第8章 マトー・ナグラン祭礼とラー
1. 歴史的背景
2. 祭礼の次第
3. 仮面舞踊とラー
4. 村人の語りと祭礼の変化
5. ラーの登場拒否と政治
第9章 ストック・グル・ツェチュー祭礼とラー
1. 祭礼の次第
2. 仮面舞踊とラー
3. 仮面舞踊、トルマ、ツォクスの意味
4. オンポとラーの関係
5. 祭礼の変化
第10章 シェー・シュブラ祭礼とラー
1. シェー・シュブラ祭礼の歴史的経緯
2. 伝統的シェー・シュブラ祭礼
3. 現在のシェー・シュブラ祭礼
4. シェー・シュブラ祭礼、ラー、王権
第11章 仏教の行方
1. 仏教徒ムスリムの衝突
2. 村々における暴力的衝突
第12章 結論と考察
1. ラダック仏教僧院における祭礼の特徴と意義
2. チベット仏教とシャマニズム
3. 仏教と現代化
エピローグ
ラダック語語彙用語解
文献
附録
あとがき
索引

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